51 生産か消費









ベランダからの四季
「ようやく出穂」

近くの公園を夕方散歩している。もう数年になるが、近頃増えてきたのが、 公園のメタセコイアの下に設けられたベンチで将棋をする人達である。
三箇所に分かれて、全部で30人近くになるだろうか。将棋をする人と 次の対戦を待ちながら観戦している人がいる。
全て私と同じ年恰好のリタイア組男性だ。

同じ野外の将棋でも、路地の縁台で浴衣を着て指している姿のような優雅さとは 程遠い。 午前中に行っても指しているから、恐らく一日中もしくは半日やっている人が多いのだろう。
どうもこの姿が気になるのだ。これがリタイア後の過ごし方として、はたして最善かと思うのである。

そう言うと、何を言っているのか、散歩しているのと何が違うのだと言うだろう。 散歩でなくとも一日絵を描いていたり、釣をしているのとどう違うのだ?
それは確かにそうで、他人に迷惑をかけなければ好きなことをやればいいのだから 将棋だろうと釣だろうと関係ないはずである。

だがよく考えると、どうも違いがあるように思える。
絵や木彫などは、明らかに知的生産だ。もちろん質の高低はあるが、新しい物を 生み出すという点ではプロと同じだろう。
かたや野外の将棋では何も生み出さない。いやそれどころか消費もしないのだ。
絵を描いてそれが売れなくて(売るつもりもなくて)真の生産になっていないと しても、材料など消費はするからその点では世のためになっている。

趣味の域を超えたのを道楽という。昔の人はその域まで達した人も多かった。 道楽になると、道具にかける思いが違う。
将棋道楽なら将棋盤・駒にお金をかける。釣だってそうだ。 だんだん高価な釣竿が欲しくなっていく。道楽者が増やす消費だ。
こうした生産しなくてもある程度消費はするというのが、普通の趣味だろうと思う。 将棋も、せめて将棋会館には行った方がいいのだ。

会場費も払わず全く消費すらしない趣味集団が増えていくのは、負担をして いる若者からみると耐えられない光景ということではないだろうか。
もう我々の年代では大した生産はできないのだから、ささやかな消費ででも貢献 するしかないと思う。
                                    

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